さとちんBLOG

具体例好き営業GMのブログ@美容業界・練馬情報

【さとちん佑介】の事

f:id:satomaruko0830:20200517212906j:plain【自己紹介】
改めて自分のこれまでを振り返りました!

①簡単に経歴

茨城県水戸生まれで

弟が二人:3歳ずつ歳が離れています。
次男は美容師・三男は建設関係のサラリーマン。小学校1年生まで茨城で過ごすが親の仕事の転勤で東京都調布市へ。中学は陸上部・高校は剣道部で汗をかく。現役大学受験に失敗するが、1浪の末「青山学院大学」に入学。2008年卒業し新卒で現在の広告代理店へ就職。30歳の時に結婚し、現在は3歳の息子がおります。

②人生最初のターニングポイント

現役で全ての大学受験に失敗。
控えめに申し上げて

初めての『挫折経験』でした。
うろ覚えですが、当時の私の偏差値は

たぶん45くらい。
高校時代は剣道部に所属していたんですが、部活にもあまり行かず
当時流行っていた「遊戯王」や

「マジックザギャザリング」等の
カードゲームにはまり、全く勉強をしていなかったので当然の結果・・。
その後浪人し、1年後に一発逆転で

第一志望の大学に受かりました。
ここで一番学んだ事は「継続の強さ」で

あんなに頭の悪かった私でも
毎日1年間勉強をすれば

希望の大学に入れる。
ちなみに予備校時代の毎日の生活は

6:00    起床
7:30    吉祥寺の予備校に行くためのバスに乗る
    バスの中では毎日英単語帳をひたすら覚える
9:00    授業開始
15:00  授業終了→自習室へ
21:00  自習終了
22:00  帰宅
23:00  復習
24:00  就寝

1日少なくとも10時間は

勉強してたかなと。
トイレには英熟語を貼り付け

トイレには苦手な日本史の文化
洗面所の横には覚えずらい漢字を貼って、ともかく日常と習慣に
1年間勉強と向き合い続けました!

 さて、あれほどバカだった私が何故こんなに頑張れたか。なんですが通っていた予備校の先生との出会いなんですよね。
その先生は確か、国語の先生で非常にインパクトのある先生だったんですが
ある授業の前にこんな事を言いました。
「いいかお前ら、行く大学でお前らの人生決まるぞ。何故ならな、良い大学には良い人材が集まるんだ。反対にダメな大学にはダメな奴らが集まるんだ。環境で大きく人は変わるぞ、4年間という時間を
お前らはどっちで過ごしたいんだ?」
細かくは覚えていませんが、こんなニュアンスの事を言われた記憶があります。
この言葉で私のやる気に火がつきました!
この出会いは私にとってもとても大きく、「言葉」で人を鼓舞できる。
この先生のように誰かのスイッチを入れられるような人になりたいと漠然とこの時思ったのを覚えています。
まあ、これだけやる気に火がついたのですから割と頑張りました。
勉強って元々理解力のあって出来てしまう人とそうでない人っていると思うんですけど、私は確実に後者だったので
その差は「努力と継続」で補うしかないと思い、励んでおりました。
そして見事第一志望の大学に入る事ができ、継続の恐ろしさと凄さを自分自身の体験を基に身に染みて感じた訳です。

※そんだけ頑張って「青学かよ」のツッコミは勘弁してください。何せ何も勉強してこなかった奴が頑張ってなんとか受かったので^^:
そして、渋谷の大学に通いたかったんです。入学した後に最初に1〜2年は
「相模原キャンパス」である事を知り、驚愕したのは今でも覚えています…。

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高校卒業時代の私。冴えない感じですねー(写真左下)

③大学生活

小・中・高・大でどれが一番楽しかった?と言われれば間違いなく大学時代と答えますね。まあ、ともかく楽しかったです。
ほんとに自由ですよね、この期間は。
バイトしてサークルしてまあ、それなりに授業も受けて。ちなみに、単位は毎年ほぼ落とさず4年間過ごしましたよ。
浪人時代の勉強癖はしっかり身についておりましたので試験期間中は大学の図書館で勉強してました。思い出はやはりサークルですね。実は私1年目のサークル選びに
失敗してただのアルバイターになってしまったんですよね。そんな流され大学生活を送っていた2年生になった時。
大学構内で「新入生歓迎サークル」の勧誘があるんですが、興味をもったサークルに、2年生なのに忍び込みに行った訳です。
どんなサークルか??

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ファッションショーを年に数回やるサークルです。これはファッションショー後写真。
まあ、なんとか自分の居場所も作りながら、週に4〜5回は居酒屋でバイトしながら
のほほんと過ごしてました。あるファッションショーで使用した映像が残ってました。
めちゃくちゃ若い22歳くらいの時の私です↓(42秒辺り)


endless styles

④1〜2年目の社会人生活

就職して新卒1年目に配属されたのは人材支援の部署。
「アナタのエリアは港区ね」と言われ

毎日新規営業の日々。
最初の頃は1日名刺獲得50枚がノルマだったので会社への飛び込み訪問は勿論、喫煙所にいるサラリーマンや歩いているサラリーマンを捕まえて名刺交換させてもらってました。
これは良い武者修行でしたね、今でこそ感謝ですm(_ _)m
六本木・麻布十番・赤坂周辺は毎日のように足を運んでいたので
休日の日に行きたくない街No. 1でしたね。
でも、毎日の飛び込み営業と新規テレアポ。
これを1年目の社会人生活でやっておいて良かった。営業として大事なものを全て学べた気がしています。一番は「自分を売り込む為に創意工夫を自ら生み出すこと」


でも、正直全く売れませんでした。同期の中でも真ん中より下くらい。
パッとしない営業だったと思います。
でも、私は少し自意識過剰な所があって
「根拠のない自信」だけはなぜかあったんですよね。
だから、不安になった事は1度もありません。自分は出来る!と言い聞かせてましたw
そんな中2年目に部署が異動になり、担当が美容業界に変わった事で徐々に風向きが変わり始めます、売れる・売るという事を
自分でコントロールして体現する事が出来始め売れるようになりました。
今あるメデイアに限らず、顧客課題解決になるものは新しく仕入れて販売。
ともかく一生懸命仕事してましたね、、8時出社で22時帰社が当たり前で 21時アポなんてのもざらにあったので、よく働いていたと思います。そして忙しくなってくると、ともかく『数字を達成する事』が目的となり
その承認欲求の為に働いていたかもしれません。

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1年目、空港で撮影された一コマ。初々しい

⑤仕事への価値観が変わった事

そんな中、仕事の価値観が変わった出来事があります。
当時の私は「売る事」が目的となり目標となっていたと思います。
私は2008年入社なんですが、入社した年に「リーマンショック」を経験。
と同時に会社の評価も業績主体に路線変更。
半年間の評価が完全な営業成績=実力主義にシフトされていた外部環境の変化も
とても大きかったように思います。半年間の成果が出た人は⚫️万円UP
出なかった人は⚫️万円DOWNのような非常に激しい環境に置かれていたと思います。
でもこの経験は自分にとっては確実にプラスです。売り抜く事が道が開ける事を自分で体感・体現できました。
でも、そんな「売上至上主義」の私の仕事の価値観を変えてくれた仕事がありました。
細かい内容は過去のブログにて語ってますので宜しければ・・。

求人広告の仕事を見つめ直す① - さとちんBLOG

求人広告の仕事を見つめ直す② - さとちんBLOG

⑥美容業界でやってきた事

私のポジションは広告代理店なので、メーカーのように「モノ」を販売している訳ではありません。カッコよく言うと「顧客の課題解決・目的達成の為の手段」を販売しています。メインで扱う大手広告主のメデイアはありますが、それも一つの手段。
「とりあえずさとちんさんに相談する」こんな姿を目指して営業してきました。
その中でも私は【美容業界】を主軸にビジネスをしているのですが
採用・集客・PR・ブランデイング・マーケテイング・組織構築等、幅広い支援をこれまで行ってきました。そして今、私が感じている事は美容業界と美容業界で働く方々が大好き。という事。思えば、私が「美容師」という存在を明確に意識したのは大学生の時に流行った chokichoki でした。
一応ファッションサークルに所属していたので、服がともかく好きで学生時代のバイト代はほぼ服代につぎ込んでました。
そんな時に、ファッションの参考にしてたのがchokichokiという雑誌。
「おしゃれKING」と呼ばれる方がコーデイネートを披露しており、多くの方の職業が美容師だったので、自然と憧れへと変わっていきました。
この時から「美容師には自分はなれないけど美容師さんの一緒に仕事ができる仕事ができたら楽しいな」と漠然と思っていたので、部署異動で「美容業界」をフィールドに働く事が出来ると分かった時はとても嬉しかったですね。

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大好きな表参道Lomaliaのオーナー「泉脇」さんと

⑦中間管理職について思う事

かれこれ中間管理職についてもう5年程経過しようとしていますが、就任当初はうまくいかない事だらけでしたね。。
当時は「自分のコピー」を作ろうと必死でした。「自分が売れたやり方を部下にも覚えさせれば良い。覚えれば自分と同じように仕事ができて売れるようになる」
本気でそう思っていたので、自身の営業活動をしながら毎日のようにロープレとレクチャーの繰り返し。でも全く部下が育たなかったんですよね。少しカッコよく言うと「名プレイヤー名監督にあらず」
正しくそんな感じでした。そんな時にある経営者の方が私に言ってくれた事。
営業と管理職はそもそも職種が違う。それを理解しないといけない
脳天に雷が落ちた勢いでした。そうか!自分は営業の延長で管理職の仕事を
しようとしていた、前提から変えないとダメなのか。それからリーダー・管理職系の本を読み漁りました。当時一番勉強になったのが、ジェック・ウェルチの本でした。

この本は今でもバイブル的存在です。
ぜひ、ご一読をお勧めします。
少し話が逸れましたが、そんなこんなで今も中間管理職をしている訳ですが
メンバーを『育てよう』という考えそのものがおこがましいと感じるようになりました。メンバーは『自分で成長』するのであって
上司はそれをそっと手助けするだけ、具体的に言うと成長の機会やチャンスを
与えて自分自身で仕事を通じて成功体験を経験し自身で成長実感する事。
これが何よりも大事なんだなと今では感じます。だから『育成→成長支援』なんですよね。例えば営業同行とか必要ないですよ、メンバーが緊張するだけ。『役職』として自分が必要な時だけ同行すれば良い。
今はそう思ってます。本人たちの力を良い意味で信じること。これは放置ではなく、信じきる事。これが大事かなと思っています。

⑧営業と向き合って11年

今は中間管理職で営業メンバーは15人。
役割として求められている事は若手時代の営業とは異なるので、短期業績を作る事は勿論ですが、中長期的にどういう仕掛けをするか。どういう戦略を敷いていくか・メンバーコンデイション把握等、考えなければいけない事は増えましたがどこまでいっても自分は営業だと思っています。
ただ、ある時ふと思ったんです。

「俺、営業として成長できてる?」
何故なら、わたしの事を『営業として』

指導してくれる人はずっといなく、自分が正解と信じて部署運営をしていたので
果たして自分の実力はどれほどあるのか、凄く疑問に感じてしまったんですよね。
だから、そう思ってからともかく読書と営業系のYoutube視聴をしまくって会社のSNSにともかくアウトプットしまくりました。
これは自分自身、改めて【営業】と本気で向き合う機会となったので、とても良い期間となりましたね、、自分自身がいかに手なりで
業務を進めてしまっていたか。を痛感する事になりましたし改めて、体系的に建設的に【営業を自分なりに】学びなおせたと思います。その学びを相変わらず、社内のSNSにUPし続けていた訳ですが、誰かが見ているかどうか。よりも自分のインプットの知識定着のために《知識吸収→まとめ→アウトプット》を繰り返しました。勿論、自分の為でもありますが、メンバーが見てくれて
『参考になったと思ってくれたらラッキー』くらいの気持ちで。
ただ、それも続けていくうちにこれじゃあ、枠が狭すぎる。結局会社内という枠組みを超えられていない。よしSNSにしよう!そこで自分の力を試そう!そして個人としてどこまで影響力を持てるか、勝負だ!
という事で文字投稿がメインのTwitterを始める事にしました。

⑨Twitterをガチで始めてみて思う事

Twitterを最初に始めたのは2010年。
当時は友人と一緒にやっていたので自分の近況を知らせるツール。暇なら、ツイートにコメントしてそのまま飲みに行く。
「⚫️⚫️なう」の印象がとても強かったです。
2020年4月時点のフォロワー数は160人。
「よし!やったるかい!」という気持ちで

スタート。ともかく自分が本やYoutbeで学んだ事を自分なりの解釈を入れてtweet。

あれ?「いいね」も「コメント」も

全くつかないぞ?
皆に届いてんのか?本当にそう思いました。
挫けずに発信!発信!発信!
でも状況は何も変わらず・・。

そんな時にnoteと出会いました。
「Twitterの伸ばし方」みたいな記事がたくさんあったので無料も有料も構わず読みまくりました!恐らく10記事以上は読んだ…😂
記事を読んで実践し出してから少しずつ変わってきて、今日時点では
フォロー536人・フォロワー928人まで

伸びてきました。
※リアルの友人からタイムラインがうるさくなったwと言われてフォロー解除されたのは少し悲しかったですが^^;

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とりあえず目標の

フォロワー1000人まであと少し。
まだまだTwitterも頑張りながら

ブログも更新していきます。

長文お読み頂き有難うございました!